1floor 2010 質朴/技術

1floor 2010 質朴/技術 2010年8月28日|土|–9月20日|月・祝|Kobe Art Village Center

インタビュー

柴田 精一

制作活動をしていこうと思った経緯について教えて下さい。

幼い頃から、絵や工作が得意だったんです。好きなことや得意なことをずっと続けたいと考えた時、美大に進む以外の選択肢は浮かびませんでした。

作品を制作する際に何かきっかけにしていることはありますか?

作ることは自分にとってとても自然な行動なので、明確にきっかけを限定することは難しいですね。自分が見たものや体験したことの全てがきっかけになっているとも言えます。ただ、作ることは常に考えることを伴います。作りながら考えが少しずつ進み、自分以外の人間に問いたくなった時、作品が生まれていると思います。

好きな作家や影響を受けた作家について教えて下さい。

初めて好きになった作家はマーク・ロスコです。17歳の時でした。具体的な事物が何も描かれていないのに全てが描かれているように感じられたり、絵の前に立った鑑賞者を現実とは別の時間の流れの中に引きずり込んでしまうところに惹かれました。そしてロスコのような絵画を描こうとしました。しばらく制作活動を続けてからはアール・ブリュットやアフリカの面などの造形を好きになりました。何故かというと、人間の精神には我々にインストールされているソフトでは開けないファイルがたくさんあって、それらを開くヒントがアウトサイドにあるかもしれないと思ったからです。

制作をし始めた当初はどんな作品を制作していましたか?

柴田作品解説01 大学に入ってすぐに一枚の自画像の制作に取り組みました。とにかく何かを描きたかったし、描ききりたかったので、ずっと見つめることの出来るモチーフにしようと思い、自分の顔を描きました。たったF12号の油絵なのに制作期間は半年間にも及びました。毎日描いたので、一カ月目でほとんど出来上がっていたのですが、どうしても完成だと思うことが出来なかったのです。足りないものを探して更に毎日描き続け、半年後とうとう筆を置きましたが最後まで納得することは出来ませんでした。何故だかその絵に対して「淋しい」と思ってしまったのです。たぶん私は描ききることで絵の中の人物が本物の人間になって出てくるんじゃないかと期待していたのです。でもそれはいつまでも絵でしかありませんでした。じゃあ次に顔を立体で作ってみようと思い、ライフマスクを採ったりしました。(※1)それ以降、立体的なアプローチで作品を作るようになりました。

身近なモチーフである他に、顔に対して何らかの興味があるのでしょうか?

顔はずっと気になっています。そうじゃなかったら別に壺を持ってきて描いても良かったし。人間にとって顔は顔と知覚した時点で無視し辛いものになります。例えば、人の描かれている絵が近くに置いてあるだけですごく気になると思うんです。それは顔が個を強く特徴づけるものであるからだと思います。

『マンゴー』(※2)や『不知火』(※3)は、リアルですごくインパクトがあります。これらも顔への興味の延長線上にあるんでしょうか?

柴田作品解説03柴田作品解説02初めは顔と全く関係ない興味の持ち方をしていました。どちらも果物をモチーフとしていますが、ずっと見つめていても様々な特徴が見えてきて飽きないんです。そうしているうちに果物に思い入れてしまって、動物的なものを感じるようになりました。ものの中に人を見出したり、意思を見いだしたりすることは大昔から世界中で例のあることだと思います。私はただ、マンゴーや柑橘類の中に強く動物的なものを感じながら模造したのです。そうするとマンゴーの熟して黒くなった部分はほくろのように見え、柑橘類の表面の毛穴のように見える部分には毛を生やさざるを得なくなりました。

今制作している切紙の作品シリーズ「紋切重」(もんきりがさね)(※4)は素材も違えば、ビジュアル的にも大きく変わりましたね。

柴田作品解説01 切紙を発表したのは2008年のMuromachi Art Courtでの「note展」が初めてです。出さざるを得ないような感動が自分のなかにあって…。それまでの作品は、モチーフを見て作るばかりだったので、自由な形や鮮やかな色を新鮮に感じながら作れました。また出来上がるものが全部違い、違うということだけで個性が生まれることが面白いと感じました。

なかには個性よりも、まず「綺麗だな。」とか、「技巧的にすごい。」と感じる人もいると思うのですが、それについてはどう感じますか?

「綺麗」や「技巧的」という言葉は現在の美術の世界ではほめ言葉ではなく、作品の内容が希薄で表面的な意匠ばかりが際立っていることへの揶揄が含まれている場合がほとんどだと思います。だから「綺麗」「技巧的」と言われても全く良い気がしません。でもそういう批評的な「綺麗」「技巧的」ではなく、素直に「綺麗」「技巧的」と感じているなら、そのまま興味を持って見続けてもらえると嬉しいです。ついでに批評について言うと、芸術作品は万人から常に批評されなければならないものではないと思います。判断を急がず、ただ「よ~く」感じることが作品鑑賞を最も豊かな経験にすると思っています。

今回発表する作品プランについて教えて下さい。

出品作品は全て「ものに人格を見出す」ことについての作品です。一番の大作は直径2500mmの「紋切重」の組作品です。それぞれの「紋切重」は一見違って見えますがそれぞれに同じ形の切紙が使われています。私はこれらの「紋切重」を擬人化して見ています。それぞれが共通する性質を持ちながらも個別のものとして識別できるさまはまるで人の顔のようです。このサイズは今までで一番大きいものになりますが、この大きさはKAVCギャラリーの空間に合わせて決定しました。今までの「紋切重」は近距離でしか鑑賞し辛いものがほとんどでしたが、今回の作品は近距離と遠距離で鑑賞できるものになると思います。また、近距離と遠距離で見え方が変われば面白いと思っています。

この先どういう作品を作りたいと考えていますか?または目標はありますか?

今までもそうでしたが、この先も「世界が変わる!」と信じられる作品を作りたいと思います。個の存在を空しく思わざるを得ない情報化社会のなかで生まれ育った自分が、アナクロ(=時代に遅れたり逆行していたりするさま)な手法で表現しようとする時、「世界が変わる!」ぐらいに思っていないと作っていけません。というのは、大学院の時に私が力を出しきれなかった時があって、担当教授にその話をしたら「君はその作品で世界が変わると思っていないからだ。以前の君はそう思って作っていたはずだ。」って言われたんです。「世界が変わる!」は大げさな言い方ですけど、「これを作ったことによって何か面白い事が起こっていくんじゃないか?」というような期待感が造形芸術に取り組む時の底力だと思います。思い起こすと初めて作品らしきものを作ろうとロスコみたいな絵を描いたり、本物の人間になるまでと自画像を描いたりしていた頃から「世界が変わる!」と思って取り組んでいました。今後もそう思いながら作っていきたいです。

今回一緒に展覧会を行う中村さんの作品についてはどう感じていますか?

陶芸を出発点としながら、器でもなくオブジェでもない第三の領域で活動しているとても珍しい作家だと思います。中村さんの作品は何度も見てきましたが、今回のプランがもっとも面白いものになるのではないかと楽しみにしています。

「1floor」という企画について感じたことを教えて下さい。

ゲストトークやワークショップなど、一人の力ではできないことが実現できる企画だと思います。また、プロジェクトが始まった2010年4月の段階での私の力ではこの企画に十分に応えていくことはできませんでした。企画に関わっている期間に急速に成長できる素晴らしい企画であるとも思います。

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中村 裕太

制作活動をしていこうと思った経緯について教えて下さい。

例えば、自分の書いた文章やドローイングを上手いか下手かということで判断するのではなくて、そのものに愛着が持てたからだと思います。自分が作ってしまったものに対する分からなさと、そのようなものをもっと見てみたいという思いから制作を続けています。

作品を制作する際に何かきっかけにしていることはありますか?

今回の作品では、郊外の住宅地を散策することで、その場に潜んでいるさまざまな徴候を捉えることを制作のきっかけにしています。特にその住居に住んでいる人が玄関先にふいに置いた植木や玄関先の塀や床などの施工や修復の方法を見ています。そのような些細なことを見つけることをきっかけとして、制作に結びつけています。

好きな作家や影響を受けた作家について教えて下さい。

大正期から昭和初期にかけて、フィールドワークをしながら農村と都市を記録し続けた今和次郎という人に影響を受けました。農村の民家をスケッチによって採集することや、震災後のバラックに装飾を施す活動や、郊外の住宅地を考現学という手法をもって採集する活動にも触発されました。いわゆる作家という活動とは距離を置きますが、実践的な研究者の立場から活動を行う姿勢に興味を持ちました。

陶芸というフィールドで制作していくにあたり、自身の進む方向をどのように捉えていましたか?

大学の4年間は陶芸を専攻していたんですが、暗黙の了解で器を作るのか、オブジェを作るのかを選択していくような風潮がありました。けれど2、3回生くらいになって陶芸以外の作品を見ることが多くなるにつれて、必ずしもそのような選択肢だけじゃないのではないかと思うようになったんです。だからといって現代美術におもねるのではなくて、「陶芸」というものを自分なりに解釈していこうと考えるようになりました。自分が陶芸の何に魅力を感じているのかを考えていくと、どうもフォルムや用途の問題ではなくて、単純に土や釉の質感にあるのではないか、つまり石や木といった他素材にはない表情があるのではないかと思ったのです。そこでその質感だけを抽出して、作品の展開が出来るのではないかと思いました。

最近の作品では既製のタイルを使って制作をしていますね。なぜタイルを素材に選んだのですか?

中村作品解説01陶芸の制作行程では、作品を作る前に釉薬の発色テストを行ないます。粘土で素地を作り、その上に釉薬をかけて窯で焼成します。そのようなテストピースを原料の分量を変えながら三角座標上に構成して色見本を作るんです。ある時それを見ていたら、そのテストピースだけでも陶芸独自の質感を伝える事は出来るんじゃないかと感じました。ただ、釉薬が発色するという現象をそのものとして見せるだけじゃなくて、山に登るという身体的な経験を踏まえて『山を入れる』(※1)という作品を作りました。山を見る時に、遠くの山が青く見えることがあると思います。けれど近づくと緑に見える。これは光の乱反射で起きる現象ですが、そういう距離によって変わる色というものを現象として捉えるのではなく、身体的な山への距離として作品化しました。ただどうしても即物的なものとして見えてしまうので、もうちょっと違う方向からテストピースを捉えられないかなというところからタイルを素材として使うようになりました。もちろんタイルという素材は建材だし、生活の中で普段から目にするものなので、テストピースとはまったく異なるものです。けれど、そのようなタイルを使用することで自分の意識だけでなく他人の意識が介入してきたりするので、作品が展開していくように感じました。けれどあくまでもタイルを作ることを目的としているのではなく、あるイメージを伝えるための手段としてタイルを使用しています。

今回発表する作品プランについて教えて下さい。

中村作品解説02今回の作品は郊外の住宅地を歩くことから始めました。歩くことで採集したタイル片と、住居人が施した玄関先の素朴な工夫や転用の技術を制作の手がかりとしています。今回はそのような技術を踏まえた上で、既製のタイルを使った作品を制作します。タイルをそのまま建物の床面として構成するのではなく、建物が取り壊された後の「地面」であることを意識して制作しています。また、建物の間取りは大正11年の平和記念博覧会に出品されたタイル館(※2)をモチーフとしています。

古い文献から作品のリソースを引っぱってくる方法は、研究者的な視点からなのか、ビジュアル的な面白さからなのか、どういった点にありますか?

中村作品解説04中村作品解説03両方といえば両方なんですけども、いま博士課程で大正期から昭和初期にかけてのタイルについての研究をしていることも影響していていると思います。論文を書くにしても、資料を揃えて自分の考えていることを書くだけではなくて、論自体を実践的に経験しながら研究していきたいという思いがあります。論と制作が同時に影響し合いながら、どちらも発展していくのが理想ですね。だから2009年の『豆腐と油揚げ』(※3)の時は、白色タイルの衛生や清潔さを谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をもとに考えてみたり、2007年の『NOW NO SWIMS ON MON』(※4)の時はイスラム圏におけるモザイクタイルの平面充填のさせ方への興味をもとに制作しました。だからといって歴史を踏まえないと作品が作れないという訳ではなく、単純にビジュアルだけを抽出することもあります。大切なのはその文献と出会うことであり、そのものが今でも通用するという感覚を持てるかどうかだと思います。

この先どういう作品を創りたいと考えていますか、または目標はありますか?

建築的なものと工芸的なものとの間にある物事を作品化していきたいと思っています。今回の作品もそのような意図で制作していますし、例えば、空き地に埋まった陶片や、玄関先に配置された植木鉢にも興味があります。自分のベースにある表現を意識しつつも、そのチャンネルを一つに絞ることなくその境界線上にある表現を模索していきたいと思います。漠然としていますが、いずれはそういった視点から住居を作ってみたいという気持ちはありますね。

今回一緒に展覧会を行う柴田さんの作品についてはどう感じていますか?

もともと何点か作品は見ているのですが、素材との距離感の上手な人だなと感じています。素材にどっぷり浸かるわけでもなく、突き放すわけでもない。その距離感は自分の制作態度にも共感できるところがあり、今回の展覧会タイトルにもそのような意図があります。けれど僕の場合は、その素材を等価なものとして扱おうとするのに対して、柴田さんはその素材を作品化していくなかで、そのものの「個性」を見つけようとしています。そういった素材に対する手つきの違いがどう見えてくるのかを見てみたいです。

「1floor」という企画について感じたことを教えて下さい。

個人による制作とは異なり、作家とスタッフの方が一つのグループとなって作品を作り上げていくことの重要性を感じました。1floor(KAVCギャラリー+1room)という特異な展示空間でどのような作品を構成していくのかを考えることは、今後の活動にも生かしていけるように思います。

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